適当ism

思った事感じた事を気軽に無責任に適当に。。。

制度改革

そもそもこの愛国優人は『中道左派』であると自負している。左翼ではなくあくまでも左派だ。
インテリが多いと言われるリベラル族を自負しているにもかかわらず、理論構成は超適当だ。それを分った上で、興味があれば読み進めて欲しい。

制度とは

社会関係を円滑に営むために社会を構成する集団の構成者や、その社会の統治者によって定められた決まりごとを制度というらしい。日本は法治国家なので、国を運営する為の制度は法によって定められている。

既存の制度、機構、組織等を改めることを改革といい、既存の制度、機構、組織等を維持する事を保守という。
愛国優人は『中道左派』であると自負していると述べた通り、現状の日本国のあり方は改めなければならないと感じている。
しかし、「十人十色」と言われるように多種多様な個性が集まって形成される「国家」という集団に於いての制度に集団の全ての構成要因(日本国で主に生活する人々、および、日本国民)が全く不満を抱かないような万能な物などは無く、大多数の人がある程度満足(納得)出来るものであればいいんじゃないの?と言うのがこの愛国優人の基本的な立ち位置であるのだ。よってこの愛国優人は基本的に日本が民主主義国家であることには賛成だ。

構造改革

構造改革とは、現状の社会の問題点は、制度や事象のみならず社会そのものの構造にも起因するものであるので、問題解決の為には、その社会構造自体を変えねばならないとするマルクス主義的な政策論に基づく考え方であり、いわゆる「極左」思考である。
よって、かつて「聖域なき構造改革」を唱えて一大ムーブメントを巻き起こした小○純一郎や大阪都構想などを唱えて日本の統治機構改革を目指している維○等の面々は根底的には極左思考の持ち主だ。元総理だ、元自民党総裁だ、なんだかんだ、その立場や嘘や欺瞞、誤魔化しまやかしに満ち溢れたその口先に騙されないようにしたいものだ。極左思考の持ち主の人達がよく口にするフレーズに「○○をぶっ壊す!」というものがある。勇ましくカッコよく聞こえるが、このフレーズこそが極左の破壊思考の表れだ。

制度改革
時は絶え間なく流れ、朝→昼→夜へと移り変わる。時代(時世、世の中)も絶えず変化し、ずっと変わりなく同じだと言う事はない、なのでその時、その状況に合うように制度自体を変える必要がある。
ただし変えると言っても、前述したように制度に万能な物は無く、「まぁこれに比べたらこっちのほうがマシか」といったものになる。ならば、制度改革は選択制にならざるを得ない。これしかない、という選択の余地のない状況下においては制度改革などあり得ない。反対ばかりで代替案を示さない(選択肢を増やさない)現在の野党に制度改革などできようはずがない。野党達が国民から信頼されない原因はここにあるのではないだろうか。
制度改革は、前述した通り、選択制になり、「これでダメだった場合はこれ」「これでもダメだった場合はこれ」と言ったように選択肢は多ければ多い方が良い。そして最悪の場合には元に戻れるような改革で無ければんらない。元に戻れなければ、このままでは破滅すると分っていても、その道を突き進むしか無くなる。これは非常に恐ろしい事だ。目の前に何があるか分らない暗闇を突き進むようなものだから非常に危険だ。極左的破壊思考が危険思考と言われる所以だ。

個別具体的な制度改革については折に触れこのブログで愛国優人の考えを述べて行きたいと思う。